13年ぶりの広島

8月6日の広島を訪れた。訪れたのは2度目だが,初めて訪れたのは1992年だったから,私にとっては13年ぶりだ。



平和公園に行くと,世界大会に参加したと思しき「原水協」の幟をもった人や,ゼッケンをつけた人。各地の生活協同組合からやってきた親子連れetc...を見た。
13年ぶりの私から見れば相変わらず人が多いなぁと感じたのだが,一緒に行った若い友人に言わせると「人が少なくなってる」とのことだった。私たちは原爆ドーム前で開かれた集会に参加した。



1992年は,6月に PKO 協力法の成立が強行され,10月には自衛隊カンボジア PKO に派兵された年。私たちの国家が,自衛隊の海外派兵に道を開いてしまった年だった。そして,今年は原爆投下から60年―アジア太平洋戦争における日本国家の敗戦から60年を迎える。
13年前も,そしていまも,私たちの国の政治は,かつてのアジア侵略戦争と植民地支配,あるいは私たちの「加害」と「被害」,その両方にきちんと向き合っているとはいえない。



今年も,小泉首相は被爆者の方々に会おうとしなかったようだ*1

広島市での平和記念式典に参列した小泉純一郎首相は六日、四年連続で「被爆者代表から要望を聞く会」を欠席するなど被爆者との対話をしないまま、駆け足で被爆地を後にした。その一方、福山市の美術館に立ち寄り中国美術を鑑賞。被爆者からは首相就任以来、毎年の式典参列を評価する意見とともに「被爆六十周年の節目なのに」と疑問の声も漏れた。(中略)
小泉首相は式典後、報道各社のインタビューで「国連などで核兵器廃絶の先頭に立ちたい」と強調した。しかし、要望を聞く会には出席せず、福山市熊野町の中川美術館(中川健造館長)を訪れた。訪問は、中川館長の大学時代の親友が首相の友人という縁があり、首相が希望した。所蔵する中国の絵画や陶芸品の鑑賞は当初、三十分の予定だったが、首相はじっくりと見て回り、一時間強の滞在となった。
 同じころ、広島市中区のホテルでの要望を聞く会には尾辻秀久厚生労働相が臨んでいた。北朝鮮在住の被爆者援護のため、国交回復を求めた広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長は「厚労相ではなく首相に要望すべき内容だったので残念」と話す。(中略)
式典に参列した被爆者の主婦(62)=南区=は「国会などで忙しい中でよく来てくれた」と原爆の日の広島入りを評価する。一方、原爆症認定訴訟の原告でもある中区の無職丹土美代子さん(73)は「今年こそは、と期待していたのに。美術館に行く余裕があるなら被爆者の声を聞いてほしかった」と憤りを隠さなかった。中国新聞・地域ニュース《節目の年も首相駆け足 '05/8/7》)



核兵器の廃絶に全力で取り組む」と毎年同じ紋切り型の首相あいさつ。それに下を向いてぼそぼそと原稿を読む。まるで覇気が感じられない。歴代首相が続けてきた「聞く会」を欠席し、式典が終わると五分ほどの会見で「逃げ去るように」広島を離れている(中略)▲今回、河野洋平衆院議長や尾辻秀久厚労相らは、被爆者のお年寄りが暮らす原爆養護ホームを訪問した。ところが、首相は式典後すぐに福山市の中川美術館へ向かった。中国美術の鑑賞という個人的趣味を優先したようだ▲唯一の被爆国の首相が、なぜ被爆者の声を聞こうとしないのか。まるで、嫌々ながら式典に参列しているようにさえ思える。中国新聞・コラム《天風録》'05/8/7)

郵政民営化」の件で小泉首相はアタマが一杯だとも伝えられているようだが,「郵政民営化」うんぬん以前に,小泉首相の政治家としての,人間としての質がいかほどのものでしかないかが,またも広島で露呈した。やはり,彼にとっては戦争の「加害」と「被害」のことなど,どうでもいいことなのだろう。
……そうなってくると,彼があれほどこだわる靖国参拝も,本心でやっていることなのかどうか疑わしくなってくる。



解散―選挙と言っているようだが,それならば「自民党も小泉ももろとも」本当にぶっ壊す選択を,私たちはすべきだろう。「ほかに代わりの人がいない」などという考え方は,ますます私たちじしんを窮地に追い立てるばかりではないだろうか。(05.08.09 この項加筆・書き直し)

*1:関連記事:節目の年も首相駆け足被爆者の声に耳を傾けよう。いずれも《中国新聞》8月7日付。