N先生の思い出

長い文章になるかもしれないが、きょうは、私が中学1年のときにクラス担任を受け持たれたN先生のことについて書きたい。


中学に入って最初のクラス担任だったN先生は、当時で60歳は越えていたと思う。正確な年齢はもう覚えていないが、そのぐらいではなかったかと思う。以前も少し書いたが、私が子供だった頃は、祖父母はもちろんだが、私が学んだ小・中学校の先生方にも、戦争体験をもつ方たちが、今と比べるとまだ多かった。当然、学校でも年配の教師の方だと敗戦前の学校教育を受けてきた方や、男性教師だと軍隊経験をもつ方がおられた。


N先生は数学を教えておられた。先生は厳格なひとではあったが、年配の男性教師にしてはユーモアのある方だった。軽い冗談めいたことを織り交ぜて話されるので、数学の時間や帰りのホームルームでは時おり笑い声も起った。そんなN先生がよく話されたことの一つが、ご自分の子供のころ、若い頃の体験だった。
一つ一つのエピソードとなるとはっきり覚えていないのが残念だが、今でも印象に残っているのは軍隊生活の体験話だった。たとえば一つ階級が違っても、上の者からはよくこき使われるとか、〈鉄拳制裁〉を受けることもしばしばだったという話とか、そんな話が多かったように思う。
また、1学期の終業式のホームルームではなぜか、その頃封切られた 《連合艦隊》 という映画*1の割引鑑賞券が配られて、「いい映画だから観にいって来い」みたいな話をされたような記憶もある。(これは家族で観にいった。)


こんなこともあった。ある提出物を3回続けて忘れてしまい、私はN先生から職員室に呼び出しを喰らってしまった。先生は激しいときにはビンタを食らわすこともあったので、戦々兢々で職員室へ行った。
「 ** (私の苗字)、お前はなんで同じ提出物を3回も続けて忘れるとか?」―こう問いただされて、とにかく必死に「うっかりしていました」とかなんとか答えたと思う。
「 ** 、同じものを3回も忘るるのは馬鹿というとぞ。」N先生はこう言って続けた。
「今ここで、『 ** は馬鹿であります!』と三回言いなさい。」
私は 「 ** は馬鹿であります!」と言ったが、声が小さかったので大声で復唱させられてしまった。ものすごく恥ずかしかったのと同時に、これが〈軍隊式〉なのかな?と思ったことを今でも覚えている。


N先生は厳しくはあったが、私にとっては親しみもまた感じた先生だった。だが、その年の秋に体調を崩して入院され、そのまま明くる年の2月ぐらいに亡くなられてしまった。
いまの私のスタンスから考えれば、N先生は典型的な〈軍隊上がり〉の保守的、反動的な教師ということになるのかもしれない。しかし、N先生がよく話された〈軍隊生活の過酷さ〉の体験話から、私は〈軍隊はいやだ。軍隊は何があっても行きたくない〉と思うようになった*2
中学1年のときに聞いたN先生のそんな話が、いまの私の〈反戦〉の気持ちの核の部分のひとつになっていることは間違いない。それは、いわゆる形式的な〈平和学習〉よりもずっと深く、私の心に刻まれているように感じる。ほんとうに不思議なものだ。それは思うに、N先生ご自身の〈体験の重み〉みたいなものを、当時の私が、自分なりに=自分じしんのありように引きつけて受けとめようとしていたのかもしれない。


だから私は、〈体験の重み〉や痛みとは無縁なひとが、例えば「日本も〈普通の国〉になろう。自衛隊を国軍に。憲法を改正して集団的自衛権を行使できるようにしよう」とか、「ミサイル防衛北朝鮮のミサイルを迎撃しよう。先制攻撃で叩き潰そう」とか言っているのを聞いても、響いてくるものがない、というか根本的に信用する気になれないのである。
香田さん殺害のあと、ずっとやりきれないものを心に感じて《ぶろっぐ》の更新もままならなかったところに、今度は米軍のファルージャ総攻撃(虐殺)である。小泉首相はこの総攻撃を「成功させなきゃ」と言ってしまった。まるで「殺れ!殺れ!殺っちまえ」とけしかけているようにしか、私には聞こえない。


このところ私は、N先生のことを思い起こし、その思い出を思い返すことが多い。なぜだろう。

#《レイプ・オブ・ナンキン》 の著者であるアイリス・チャンさんが亡くなられた。私と同い年 (1968年生まれ) ということもあり、ショックを受けている。(私たちはこの本の日本語訳をまだ読むことが出来ないでいる。)

*1:1981年。小林桂樹財津一郎中井貴一などが出演してたように思う。挿入歌は谷村新司。たしか翌年ぐらいに、その名も《大日本帝国》という映画が封切られた記憶がある。(森正孝さんのドキュメンタリー映画《侵略》がつくられたのも1981年。翌年にいわゆる〈教科書問題〉が起る。)

*2:小さい頃から不器用で、いまでも体育と図画工作が情けないほど下手な私なので、なおのこと自分に軍隊という場所はまったく相応しくないと思う。