われわれ自身を写す〈鏡〉としての小泉純一郎

noisycembalo2004-09-06

きょう強行されると言われていた那覇防衛施設局による沖縄・辺野古のボーリング調査は台風で延期となったようだ。
9月1日の福岡での抗議行動に参加した際、沖縄の現地に行った方の報告があった。そこで口々に語られていたのは、〈本土〉から来た人は、現地の人に〈頑張ってください〉と声をかけることが多いのだそうだが、〈頑張ってください〉と声をかけられるたびに、〈あなたが頑張れ〉という言葉を返すそうだ。それを聞いて改めて襟を正される気持ちだった。
反戦平和〉の問題というと、いつのまにか〈広島と長崎と沖縄のこと〉になってしまってるという指摘がされることがある。そのなかでも沖縄はもっとも無視されてしまってるように思えてならない。今回の事故についても、〈本土〉のメディアはオリンピック報道の陰で小さい扱いに終始し、小泉首相は〈ぼく夏休みだから〉と、TVのオリンピック中継に釘付けだった。このことについて、〈本土〉で強い批判の声がおこらないのは、じつは、小泉首相のこの体たらくそのものが、〈本土〉の人間の、沖縄に対する意識の平均値を反映しているからではないのか、と思ってしまう。この事態に即応で対処しなかった小泉首相に危機管理だの、〈日米同盟への協力〉だのという資格はあるのだろうか。
事故直後から、現場が米軍の統制下に入ってしまい、警察も手が出せなかった点についての批判も弱い。私が危惧するのは、今回のことが〈前例〉となって、今後米軍や自衛隊がこの種の事件を起こしたときに、現場を統制下においてしまう危険性だ。その意味で、今回の事態は有事法制発動のテストケースでもある。
〈テロの脅威〉に備えるために、〈北朝鮮の脅威〉に備えるために日米同盟の強化を。防衛力 (軍事力と読む) の強化を!という声が甲高く、日本国憲法第9条が宣言する〈軍事力に拠らない平和〉の理想はまさに、〈嘲笑の笑顔〉で鞭打たれ、唾を吐きかけられている。
「基地があればお金が入るかもしれないけれど、人が死んだら意味がない」命があれば生きてはいける。基地のない沖縄を創造し、みんなで声を上げよう」「みんなが声を上げれば基地はなくせる。私は基地のない沖縄を想像することができます(強調はぶろっぐ)と発言したのは、今回の事故がおきた地元に住む中学生だ。この声に〈嘲笑の笑顔〉を向ける与党政治家たちや大人たちは多いかもしれない。しかし、米国の《対テロ戦争》、あるいは《日米同盟》にこのような、前を向いた〈希望〉や〈想像力〉はあるのか。あるというのならぜひ教えてほしい。
小泉純一郎はまさしく、ニッポン国民の意識(あるいは集団的無意識?!)を映している〈鏡〉であり、私たちが失いかけているのは、さきの中学生の発言のような前を向いた〈希望〉や〈想像力〉ではないか。私は自分の姿が小泉純一郎と同じであることを拒否したい。
辺野古のボーリング調査は今週半ばにも機動隊を動員して強行されようとしている。現地に駆けつけることのできない私にできることは限られているが、これを止めるために何が効果的か?思いとどまらせるには?もどかしい。もどかしい。。。