何が〈行き違い〉を生み出しているのか

またも、というべきなのか、アジア杯サッカーでの中国観衆のやじや〈反日感情〉が報道を賑わしているようだ。昨年の秋には、日本人留学生が、留学先の大学の文化祭で披露した出し物が〈中国人を侮辱している〉と問題になったことも記憶に新しい。
いくつかの新聞報道を読む限りでは、中国側のナショナリズムの暴発はけしからんという方向に傾きかけているようで、問題の背景を掘り下げたものにはなかなか行き当たらない感がある。
今日付けの《読売》では、「中日友好LOVE」と書かれた日の丸を掲げた日本人観客の写真が掲載されていた。一瞬〈けなげさ〉に似た感情を覚えそうになったが、とたんに引っ掛かった。―その〈けなげさ〉に似た感情は、事態の冷静な把握につながるものなのだろうか?と。
そして、他の新聞では〈中国の反日教育こそがこの事態を引き起こした〉と非難する若いひとの投書が掲載されてて、私はそれにも強い引っ掛かりを感じた―私たちの側には何も問題はないと、果たして言い切れるのだろうか?と。
〈行き違い〉はいけない、たがいに理解しよう―とは誰でも言える。また、一方への情緒的な非難はもっとたやすい。しかし、お互いの存在と関係とがあってはじめて〈行き違い〉も生じる。私たちはその背景を知る必要があるし、私たち自身の背後にある問題も明らかにしなければ、問題の冷静な把握にはつながらないと思う。
スターリン主義的な民衆統制と、かたや経済における新自由主義アマルガムな政治体制をとる中国国内で深まる社会的矛盾、それらに対する人々の不満も確かに大きな背景にはあるだろう。また、中国政府が民衆の社会的、政治的な不満をそらす策として、愛国主義のプロパガンダを強調している側面は否定できるものではない。しかし民衆側の〈反日感情〉には、歴史的な根拠がある。それが日本による1894年の日清戦争から数えればおよそ50年に及ぶ侵略にあることは明らかだ。
そして押さえておくべきは、日本政府は未だに侵略の責任を取るべき諸問題に向き合っていない。強制連行/労働の被害者たちに対して、誠実な謝罪と保証を行なおうとせず、日本軍が中国東北部で遺棄した毒ガスは数十年にわたっても被害者を生み出し、その方たちに対する謝罪と補償も実質、拒み続けている。そして懲りずに靖国神社への参拝を続ける首相ならびに少ないとはいえない政治家たち…。昨年の日本人留学生をめぐる〈騒動〉の背景には、私たちの政府がとり続けているこうした態度の問題も大きいとの指摘もある。
反日感情〉には根拠があり、それが日本と中国の歴史的関係とその現在的な諸結果にある以上、それを解く責任を私たちも負っていると考えるべきだろう。
反日侮日の中国人はけしからん〉が〈暴支膺懲(悪い中国を懲らしめよう)〉というスローガンとなって、1930年代の中国侵略はエスカレートした。いま、同じようなスローガンを私たちは朝鮮民主主義人民共和国に向かって叫んでいる。