フッと思ったこと〜SMAP《世界に一つだけの花》について(04.8.6加筆)

フッと思いついたのでちょっと書いてみよう。以前ここで書いたことのあるSMAP世界に一つだけの花》についてだ。ご承知のように、この曲は一部で〈反戦歌〉として受け取られ、デモの場でも大音量で流されたりしたこともあって、私はかなり辟易した。この曲は〈反戦歌〉じゃなく、別に大したことは歌ってないよ(どこが反戦歌だよ)―というのが私の見方である。例の〈ナンバーワンにならなくてもいい〉うんぬんのくだりもなにかウソくささを感じてしまう。〈自分の個性〉うんぬんで片付けられるほどこの世界は/世間は甘くはねえだろと思う。―それはさておき、メロディはとっつきやすいが、歌詞はちょっとなあ、と私は思っている(これは作詞・作曲した槇原敬之の "限界" としてとらえるべきだろう)。
ここからが新たに思ったことだが―もうすでに〈歴史〉の域に入ってる1960年末期の大学闘争。いわゆる全共闘運動が高揚した時期に、東大全共闘の学生のあいだで聴かれ/愛唱された歌に《唐獅子牡丹》だとか《網走番外地》といった歌があった。もちろんいずれの歌も、たたかいや主張を明示したものではない(なおのこと〈革命的〉ですらない)。しかしこうした歌が好んで聴かれ歌われたことは、なにか彼らの心情にくるものがあったのだろう。
で、乱暴な言い方をするならば、《世界に一つだけの花》が一部で〈反戦歌〉として受け取られたことも、東大全共闘の 《唐獅子牡丹》 のような文脈で受けとめたほうが、〈反戦歌〉としてのこの曲の幾多の決定的な弱さを云々するよりはずっとストンと落ちるものがあるような気がする(もちろん批判は批判で重要なのだが)。そうなってくると掘り下げるべきなのは、この曲を〈反戦歌〉だと感じる側の心情ということになってくるだろう。

(参考)