わずらわしい宅配

そう思っても、〈じゃあまた新聞を取るか〉という気にはならない。かえってわずらわしさを感じる。まず〈折り込みチラシ〉が不要だ。
そして、一度取りはじめると販売店の人が先々の分まで「契約してもらえませんか」と尋ねてくるようになり、次第に断りにくくなってくる。他の新聞の人たちまで「新聞取ってください」と訪ねてくるようになる。新聞の宅配の利点といえば、〈新聞が毎日居ながらにして読める〉ことなのだろうが、そのことのためにいろいろと余計なもの・ことまで付随してくる。それが私にはわずらわしいのだ。月々の購読料を払わなければならないのもまた同様だ。(*2)
幸いなことに近所に図書館もあって、各紙を読むことができるので結局、〈必要なときにだけ買う〉のが、私の〈紙の〉新聞とのつき合い方になりつつある。
〈読む時間は反省の時間〉 (*3) という言葉どおり、たまに〈紙の〉新聞に目を通すとき、時間の流れがゆっくりと感じられる。これはウェブでは味わいにくい感覚で、紙の媒体の持ち味というか、本領なのかもしれない。

(*1)短期の続き物の特集記事などは、ウェブでは読めないことも多い。それに、(ものにもよるが)記事が速く消えてしまうのもウェブの痛いところ。私が懸念してるのは、新聞社のウェブサイトの有料化なのだが、ま、それは当分ないかな(多分、おそらく、めいびぃ。。。。。。)新聞社が自社のウェブサイトの位置づけをどのように考えているのか知りたいところ。
(*2)以前耳にした話では、欧米などでは宅配制度自体がなく、新聞は街頭のスタンドや〈ニュース・エイジェント〉のような新聞・雑誌専門の小売店のようなところで〈買って読む〉ものらしい。そういう店では一般の企業メディアによる新聞だけでなく、政党の機関紙なども置いてあるらしい。(置き換えて考えると、 《産経新聞》 も 《しんぶん赤旗》 も、同じように街角で買えるということ。そのほうが素晴らしいと、私は思う。)
(*3)ポール・ヴィリリオ 《速度と政治》 の中にあるフレーズ。(平凡社ライブラリー