単純に考えてみても

最近あまり語られることが少なくなっているが、先のアジア太平洋戦争における日本国家の敗戦に際して、中国・国民党政府の蒋介石は「徳を以って怨に報いる」と言って、対日賠償権を放棄した。中国革命によって国民党政府が台湾に移ったあと、毛沢東は「日本の人民と日本の帝国主義者の侵略政策とは区別しなければならない」という対応をした。どちらも一頃はよく取り上げられた「歴史のエピソード」である。
これらのエピソードに比して、日朝関係で日本の国家と社会がとっている対応はなんと感情的で貧しいんだろうかと思う。
言うまでもなく日朝平壌宣言は、日本と朝鮮双方の歴史的な敵対関係を「対話と交渉」で解決しようと合意されたものであるはず。そのような宣言が発せられたにもかかわらず、「拉致はテロだ。制裁だ、戦争だ、金正日打倒だ」「強気で行けばいつか相手は降参する」式の言い草が連日乱舞している。
金正日に鉄槌を」式の言い方を好む人々は、実際の「鉄槌(経済制裁や戦争)」が権力者にではなく、一般の民衆に振り下ろされることに無知であるか、あるいは無視している。私たちは、さまざまな困難と抑圧のなかで日々を生きている朝鮮の「普通の人々」を、そんなにまで「殺したい」のか?―多くの人々は、本当はそんなことなど望んではいないはずだ。
拉致問題をもって、日本がまるで「無垢で善良」な立場に立っているかのように考えるのは錯覚であり、妄想に過ぎない。朝鮮政府が日本人拉致に対して誠実に謝罪と補償、責任者の処罰を行なわなければならないのと同等に、日本政府は朝鮮側の「植民地支配の責任の清算」の要求に誠実に対応しなければならない。これらの諸問題を解決できるのは唯一、真摯な「対話と交渉」の積み重ね以外にはないのである。