派兵される自衛官に対して、我々はどのように接するべきか?

さて、今日のテーマは「派兵される自衛官に対して、我々はどのように接するべきか?」である。
報道によれば、派兵される自衛官に対して「黄色いハンカチ」で「無事を祈る」運動というのが、北海道で始まっているらしい。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20040110&j=0022&k=200401101101
詳しくは上のURLにあたってほしいが、気になったのは、この運動に取り組む会社経営者のコメントなのだ:「個人的にはイラク派遣に疑問もあるが、派遣が決まった地元の隊員を気持ちよく送り出し、無事に帰還してほしいと祈るのは、自然な感情だと思う」。
まず、なぜ彼は、個人的な「疑問」よりも、派兵自衛官を「気持ちよく送り出す」ほうを選択したのだろう?もちろん、「地域社会のしがらみ」とかもあるのかもしれない。しかし考えてほしい。「気持ちよく送り出された」自衛官イラクで何をするのか。そしてその「無事を祈る」気持ちの内実は何なのか、ということを。例えば、その自衛官が「帰還」するまでに、イラクの人々に銃を向け、殺していたならば、「送り出した」彼はいったい何を思うだろうか。あるいは「そんなこと」にはまったく "out of mind" なのか。ただ無事ならばそれでいいのか。
もちろん私自身にも「無事を祈る」気持ちが全くない、とは言えない。しかし、その気持ちを無条件に「自然な感情」だとして同意してしまうことは、私にはできない。
派兵の「意味」そのものを、自分の頭でさらに突っ込んで問うことなしにただ「無事」を祈る―素朴な「優しさ」から出ている行動かもしれない。しかし、「個人的にはイラク派遣に疑問もあるが」というのなら、彼はその「疑問」の道を選択することもできるはずだ!
「優しさ」とは、なにげに「いいもの」だと我々は思ってしまう。しかし、時にはその「優しさ」が、苦しみを傍観し、長引かせるものとして働いてしまうこともある。
―じつは、私はこの記事(上記URL)を読んで、真っ先に連想したのは、かつての「15年戦争」中に国防婦人会などの手で広まった「千人針」だったのだ(千人針そのものは日清・日露戦争のころから行なわれていたらしい)。「千人針」の「優しさ」は出征兵士の「武運長久」を祈りこそすれ、決して兵士の出征そのものを、そして日本のアジア侵略を止める「優しさ」ではなかった!それはあくまで戦争を、侵略を支える「優しさ」でしかなかった!
だから私は、この「黄色いハンカチ」も、派兵そのものを問わず、派兵を支える「優しさ」である、と敢えて言いたい。派兵自衛官の「無事」を祈る前に考えなければならないこと、やらなければいけないことが、我々にはたくさんあるはずだ。
だから、派兵される自衛官に対して、そのような「黙って気持ちよく送り出す」式の「優しさ」を発揮しては、ならない。自衛官自身が小泉や石破によって憲法違反の誤った道に押し出されつつあるその時に、どうして彼/彼女らを「気持ちよく」送り出すことができるだろうか?
その優しさは「軍国の母」「銃後の国民」につながっていく優しさであり、決してイラクの人々と交点を結ぶことのない優しさとなる。
はっきりと「イラクへ行くな!」「殺すな!」のメッセージを、彼/彼女らに送ることこそが「優しさ」ではないのか。「人殺し」を前提とした上での「優しさ」など、私は発揮したくない。
#誰かが言った。「地獄への道は善意で敷き詰められている」と。