「コンビニ的身体」

昨日、友人たちと話題になったのだが、小売店で元日から店を開けているところが、以前に比べると多くなっているような気がする。また、「24時間営業」を売りにしている某ディスカウント店とか、「え?夜中まで店を開けてなくてもよさげなのに」と思えるような業種が24時間営業を掲げるケースも目立つようになった。私の働くコンビニというところも、そういった傾向に掉さしている業種なのだが。
「消費者のニーズ」ということを企業は口にする。でもね、元日営業とか、24時間営業とかって、もともとニッチ的な手法にしか過ぎなかったと思うのだ。だが、われわれはいつのまにか身体を企業の側によって「開発」されてしまって、身体そのものが「コンビニ的(比喩として)」になってしまっているのだと、ふと我にかえる思いをすることがある。
例えば、である。昔は午後8時を過ぎるとお店はみんな閉まっていてそれが「当たり前」だった。ある晩、夜遅くに亭主が酔っ払って、会社の同僚を連れ立って帰ってきた。「何か酒とつまみを出せ」―当然お店は閉まっている、酒もない。昔ならば、そこで必死に頭を働かせてなんとか「その場を切り抜ける」術を発揮したと想像するのだが、今ならば一も二もなく「コンビニで買って来い」ということになるだろう。こうなると「工夫」とか「事情の斟酌」ということが、「便利」によって駆逐されてしまう。こういう傾向は人間の社会生活上いいことなのかどうか?
また、「お正月」はかつて家族や親族が一堂に会して、お祝いをやったりとか、家族的な紐帯を再確認して新しい年を迎えるということが、一般的に行なわれていたと思われるが、最近ではそのようなことをやる家庭も減ってきているのではないだろうか。(かく言う自分も、正月帰省を数年やっていない。。。)ともかく、以前に比べて「正月」が本当に「軽く」なってしまって、社会的な「メリハリ」、あるいは「区切り」としての意味が薄くなってきているような気がするのだ。(ついでに言えば、この問題に関して一番怒りをもつべき人々は、いわゆる右翼・民族派の皆さんだと思う。「日本の伝統を守る」というのであれば、例えば「正月営業に対する社会的規制」法案ぐらい考えてもよさそうなものなのに、と思うが。)
個人的にはこの件、もっと煮つめて考えていきたいテーマだ。
#この文を打ちながら、頭の片隅を「リアルタイムの横暴」(ポール・ヴィリリオ)という言葉がよぎった。